2030/08/21

長徳寺のメインメニュー

浄土真宗本願寺派のご相談・仏事につきましては、ご遠慮なく直接、寺までご連絡ください。

寺は誰でもがいつでも平等に安らげる場所です。敷居は高いなどといわれますが、住職の真意ではありません。近年、ネット検索によって遠回りされて寺までたどり着く方が増えております。どうぞご遠慮なくお問い合わせください。

http://seikain-choutokuji.net
電話番号 046-856-9550

あらゆる紹介サイトにて当寺が掲載されていますが、多くが無許可にて掲載されており、紹介サイトを経由する必要はございません。

宗派が一般企業と契約等を交わし仏事を行うことはございませんので、ご不明な点や仏事のご用命は、以下の正規の三つの窓口よりお問い合わせください。

ご本山・本願寺(http://www.hongwanji.or.jp)、
築地本願寺(https://tsukijihongwanji.jp)、
地域の浄土真宗本願寺派寺院、

長徳寺・住職


【宗派・当山について】
【長徳寺のお役立ち情報】
 2021年度、当山墓地は引き続き、永代使用料5万円と20万円の区画(年間護持費12,000円)にてご案内しております。くわしくは下記の墓地のページをご覧下さい。
境内の様子をご覧下さい


    長徳寺(ちょうとくじ)
    電話 046-856-9550
    横須賀市長井5-20-19

    2022/07/28

    平等の姿勢

    仏教は命の平等を説きます。


    京都にも平等院鳳凰堂と言われるお堂があるようにとても普通にお経にも出てきます。一般的にも平等は使われますが、仏教の平等は修行の末に開ける仏様の物の見え方、というくらい、そんなに簡単に得られるものではないので、やはり、一般の平等は、仏法からすると不完全といわないといけません。


    お釈迦様の特徴として、、、物事に対する姿勢として完璧主義というものがあると私は思います。常に経典にも、涅槃にも肉体がある涅槃、肉体がない涅槃、など完全なもの以外は、完全ではないですよと、しっかりと定義します。それなので、平等といった場合、完全な平等でない場合は、「現時点の人間の知恵を絞った上での平等」のようなものが、世の中の平等ということになり、この言葉を使う人は、加害者であろうが被害者であろうが、どちらに立っていても、不完全な平等しか考えが至らない自分自身を忘れずにこの言葉を使わなくてはなりません。


    本当の平等というのは仏様にしか、持ち得ないという考え方をする気がします。私たちが用いる平等は、立場なりの時代なりの、、それなりの平等です。常に定義の大前提はここの部分であり、完全な理解ができない自信をわすれないようにすることが仏教的な姿勢であり、それが真実であり、誠実な態度であると思います。

    私はたまに境内の掃除をします。樹齢何年の木を伐採したりするときは、何日も何年も考えて伐採することもあります。他方、雑草はそこまでは考えずにさっさと抜いてしまいます。何年も時間を共にした犬が死んでしまうのはとても悲しかったですが、焼き鳥はパクパク、いただいてしまいます。ここには、これだから自分の生き方はいいんだ、とか正当化する要素はどこにもなくて、やはり手を合わせて、このような自分が生きながらえさせていただくことに、懺悔と感謝をしながら、生きてゆくしか他はないのです。仏法は自己を正当化するものでも、力強くいきてゆくためのものでもないような気がします。まことの我が身を知らせてくださる教えです。

    仏教であるといことは、教えや言葉の意味を頭で知識として理解できればよい、ということではないのです。理解しようとする自分がまず、仏法を理解するに値する能力を持ち合わせておりませんという、人に言えないような深い反省のもとにあり、そのような自分が仏法で出会えた喜びと共に教えに向き合います。

    この境地は、知識でも努力でもなく、唯、ご縁としかいうほかないのですが、寺の住職をしていながら、どうしたら、皆様をこのような仏法のお心にお連れしたらいいのか、私は方法がまだわかりません。きっと、この文章を読んだ方の中には、上から目線とか、教えや理論で威圧されたような気持ちになったかたもいるかと思います。それなので、この頃、檀家様への法話を文章にすることに対して躊躇していまいます。気持ちを文章にしても、文章がそのようにならなくて、親鸞聖人のお心がただ、えらそうに綴られている、親鸞聖人のお邪魔をしてしまうような文章しか、まだ書けないのです。

    親鸞聖人は正信偈の最後に「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」と仰います。長い教えのあとに「さあ、さあ、ここにいるみなさんが心を同じくして、ただ高僧の教えを、親鸞とともに信じましょうね」とやさしく仰っていただいているようで、教えを押し付けることもない親鸞聖人のお心にとても安堵してしまいます。朝の勤行でもそう感じますし、また、この頃は葬儀においてお一人で浄土に旅立たれるかたを前にして正信偈を終えるとき、この最後の二行がとても心強く感じます。正信偈は繰り返し繰り返し、阿弥陀如来という仏様がここにいらっしゃいます、そのようなことがあっても大丈夫ですよ、安心してくださいね、この菩薩はこう仰ってますよ、この高僧はこう仰ってますよ、だからあなたは救われているのですよ、とやさしく親鸞聖人が幾重にも幾重にもお話くださるお経です。その最後の二行、親鸞聖人が、読経を聞かれているご遺族を、「時衆」という言葉でしっかりと巻き込んで「最後になりますが、ここにいるお子様もお孫様も同じ教えを聞いて同じ心で手を合わせてらっしゃいますよ、安心してお浄土にお参りくださいね」と仰ってくださっていると私はいただいております。えらい僧侶がこのように説いていますだけでは、故人は安心しきれなくて、それをご家族も敬意をもって大切にされていることに何よりの御安心を感じるのでないかと思います。そして、これを人生の最後に当たって、あなた様に親鸞聖人のお心をみなさまとともにお伝えできて本当によかったと思うのです。仏法が、みなさまのうちにある領域を問うているというニュアンスを、親鸞聖人のこの最後の言葉に私は感じるのです。

    長徳寺は、親鸞聖人のひらかれた、浄土真宗の寺なので、この生き方はお念仏に集約されることであります。お念仏によって、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」と手を合わせることによって、私はこのようなことを考えています。

    2022/05/19

    お寺で書道教室、好評開講中です!

    「お寺で書道教室」

    大人の部(月謝5,000円)
     第1、第3火曜日 昼の部 14:00~16:00
              夜の部 19:00~21:00
    子供の部(月2回月謝3,000円) 
     第2、第4火曜日・木曜日 15:00~17:00

    ○講師:浦島行雲先生
    *見学・体験随時受け付けています。


    ご不明な点は046−856−9550、もしくはinfo@seikain-choutokuji.netまでお問い合わせ下さい。

    住職紹介記事を作っていただきました





    株式会社唯 池谷正明氏に制作していただきました


    2021/10/13

    お寺さんに失礼にならないように

     ご葬儀なので、ありがたくも「お寺さんに失礼があってはならいので」とお気持ちで、質問をいただくことがあります。


    おおよそ、いつお布施を渡したらよいのか、と、失礼でないお布施の金額です。


    私の答えから申しますと、いつでも、おいくらでもとなりますが、大抵、その曖昧な答えで困らせてしまっております。


    私が失礼だと思うことを考えてみますと、ご葬儀なりご法事なりに僧侶を呼んでお経を上げなくてはとお考えの時点で、大変な仏縁が成就されていることでございますので、僧侶に対することの失礼など、全くないわけでございます。浄土真宗で申しますと、阿弥陀如来が、御参拝の方々の仏縁を願い、前世やその前の命、そのまた前世と、救われてほしいがために願いずめに願っておられたことでございます。そして、人間に生まれなくでは仏法が聞けないので、やっとのことで人間に生まれさせて、やっとの思いで、お経を聞かせていただく身になったことでございます。


    その如来のご苦労の成就の時に、何の失礼がございましょうか。共にお経に会えたことを感謝するばかりでございます。


    浄土真宗の僧侶にとりましての1番の失礼は、僧侶にもよるかと思いますが、私は、合掌の時に皆様がお念仏を称えてくださらないことです。阿弥陀様に失礼であることに、深く落ち込んでしまいます。これは、私の日々の伝道がいたらない、こちらの至らなさ以外の何者でもなく、無言で合掌される場にあっては、如来に深く懺悔し、自らの使命を改めることでございます。


    昨今は僧侶なし、お経の上がらないご葬儀もあるようです。以前はこのようなことはあまりなかったので、この頃の方が、仏縁の尊さがわかりやすくなったと思います。


    僧侶を呼びたい、お経を上げてあげなくてはと思われた時点で、大変尊い先祖代々のご家族からのお育てと、如来のご本願の成就がなされていることでございます。その皆様を動かす遠く不可視なるお力の中身を知ることは、簡単なことではないかと存じます。それを素直に受け取りながら生涯をかけて紐解いてゆき、結論の有無に関わらず、次世代にそれを受け継ぐ営み。そのような皆様とお手合わせを共に出来ることは、僧侶として、とても栄誉なことでございます。


    目先の失礼をお気にかけていただき、大変、申し訳ないことでございますが、皆様が普通にされていることの、大きさ、貴重さ、尊さを自覚していただき、ともに喜ばせていただきたい、それが私の日頃思っていることでございます。


    ただ、私、僧侶に対して失礼ということは、無いのですが、御本尊に対して失礼だと感じることはございます。


    一つ目は、本願寺派だけかもしれませんが、僧侶に座布団を勧められることです。阿弥陀如来は立ち尽くめではたらいてくださっています。畳があるだけでありがたいのに、その上、座布団までは不要でございます。参拝者も、この理由を深くいただくことができましたら、座布団は不要となると存じます。


    二つ目は、お焼香をする際に、参拝者が僧侶や親族に礼をすることです。本堂内は礼拝の場ですので、親族同士の礼は入堂前に済ませ、御堂内ではどんなに参拝者がいても、阿弥陀如来と一対一の思いで、礼拝のお時間を過ごしていただきたく存じます。あまりにも尊い存在がいらっしゃることを理解されていれば、他の者に礼をすることが失礼にあたると思えてくるはずです。本堂内でお焼香の前後に私に礼をされると、阿弥陀様に大変申し訳ない気持ちになります。如来の尊さを伝えてこなかった自身の至らなさの結果です。


    皆様の失礼と思われるところと、こちら思いが全く異なっており恐縮ですが、日々の思うところを書かせていただきました。

     
    長徳寺住職

    2021/05/08

    御自宅にて三十三回忌の御法事でした

     長徳寺の総代長嘉山様の御法事でした。お父様の三十三回忌です。お話を伺いますと、御法事を節目とされて、お仏壇を新調されたり、お写真を作り直されたりされていらっしゃいます。


    嘉山様のご主人様は色々なご趣味がございますが、山登りが大好きで沢山のお話を聞かせて下さいます。登山の道のりは険しさや淡々と歩き続けることもあるかと思いますが、そんなときに、人生の大切なことについて考えられるのかもしれません。

    三十三回忌をよくお勤めになられましたが、後ろを振り返れば「ずいぶん経ったね〜」となりますが、未来を見据えると、若返る人間はいませんから、仏様の世界に近づいているともいえます。嘉山様はまだまだお若いですが、お年を召した方が三十年を超える御法事をことさら大切になさるのは、お待ち設けてくださる、仏様とお浄土の確かなることに、ご家族やご親族が手を合わせることによって、ご自身の老いや病、死に対しての安心を求めていらっしゃるような気がします。


    【お役立ち情報】

    嘉山様のお宅には、お父様の御法事を機縁にして新調された、京都・若林仏具製作所の金仏壇が納められています。浄土真宗の正式である金仏壇にご興味のある方は、築地本願寺に支店がございます。長徳寺の本堂内陣を施行された仏具店です。

    長徳寺では、本堂はもちろんのこと、ご自宅にも住職がお伺いして御法事をお勤め致します。御檀家でなくても何も変わりなくお参り致します。お布施金額の定めはございませんので、是非とも、大切な御仏縁にお経を聞かせていただき、ご一緒にお念仏したいと思います。寺のあるべき勤め、国からいただいている宗教法人格の使命として、収益を旨とせず、仏法を皆様にご負担なくお取り次ぎすることを大切にしています。

    2021/04/29

    金箔にペタッと貼られています


    以前に御門徒さまにお配りしていた「教育新潮社」さんの『仏教家庭学校』に同封されいた短冊です。金箔の巻障子(まきしょうじ)と名付けられるお仏壇の扉にセロテープではっていただいています。

    このお宅には90才を越えても畑仕事命、のおじいちゃまがいらっしゃいます。自動車免許を返してからは、一輪車を引っ張って畑まで通われます。とても小さな歩幅で。門前に野菜の無人販売所をだして、まだまだ、腕っ節ひとつで稼いでいらっしゃる。90代といっても、男としてただただかっこいい、のです。

    京都から遠く離れた三浦半島、横須賀の市境の町にも、金仏壇のお宅が結構あります。金仏壇は今の時代は人気が低迷しているようです。私が思いますところ、日本人の光、明るさの感覚の変化も影響しているかも知れません。暗めのお部屋でお灯明だけに照らされた金仏壇は、五感を越えて引き込まれるような、包み込まれるような、また、暗いのに気持ちがゆったりと安心するのです。

    2021/04/23

    境内のツバキの木を伐採しています

     

    四月になりまして、植木屋・好木園さんに以前からお願いしていたツバキの木の伐採をしていただいています。ツバキの木を斬るのは残念なのですが、チャドクガという毛虫がどうしても、何年経っても、住み着いてしまい、防虫剤による周りの木への影響、お墓参りや庭掃除の人に被害をおよぼしてしまうので、斬ることにしました。

    私もチャドクガの毛にやられて何度も皮膚科にいきました。小さいころに木に登って濃いピンク色のツバキの花をとって、花びらを取り去って、榎茸みたいなおしべをざくっと半分に割り、透明な蜜をなめた仲なので、斬りたくなかったのです。

    植木屋さんは、木を根元から斬るときは、塩でお清めの儀式をします。一本一本、心を込めてします。私も境内の木をエンジンのついたチェーンソーで切りますが、根元から斬るのと、抜根は、生き物を殺しているということと、懸命に抵抗されていることを感じます。

    2021/01/16

    お墓のあり方〜今まで通りで環境にもお財布にもやさしい形〜

     長徳寺でも昨今の終活記事などに影響されて、お墓を閉じられる方がいらっしゃいます。立派なお墓なのに取り壊してしまうのは、とてもさみしく、もったいない気持ちになります。


    そこで、長徳寺では、解体するお墓の土台(カロウト)を寺に寄附いただき再利用する【寺カロウトのお墓】を新設しました。新設といいましても、閉じられる方、墓地を求める方、環境に配慮した、長徳寺的、SDGsな取り組みです。


    みなさまのメリットを書きますと、

    1.閉じられる方・・・解体費はカロウトや基礎に費用がかかるため、解体費用が1/3程度になる。


    2.墓地を求める方・・・墓地・墓地の費用が抑えられる。また、使用しなくなった場合、カロウトから上の解体費の負担だけで済む。


    3.廃棄に際しての、重機・車両使用のCO2排出量削減、処分場など環境への配慮。


    4.手頃なご負担で、共同墓地にはない、今まで通りの戸別墓にお参りをすることができる。


    となります。参考までに下の90センチ×90センチのカロウトで、永代使用懇志料5万円、年間護持費12,000円です。こちらに墓石を載せますと30万円前後からとなります。花立てと香炉のみや簡単なプレートですとよりお安くお使いいただけます。


    新しい墓地がいいという方には向きませんが、地球資源を大切に使わせていただき、同時に手頃な負担で、今まで通りのお墓をもてる形としてご提案させていただいております。お気軽にお取り合わせください。長徳寺046-856-9550

    左のお墓は本堂近くの立地です。90センチ×90センチのカロウトで、永代使用懇志料5万円、年間護持費12,000円です。

    通常、当山の墓碑全体を解体する場合、石の量、石の材質や基礎の解体作業時間等により15万円〜40万円程かかりますが、カロウト部分を寺に返却するので、解体費は上部で10万円前後です。(石の廃棄料、職人の作業料など、時期によって変化することをご了承ください)

    また、同様の大きさが1件、これよりも大きな区画が2件程ございます。寺にかかる懇志料・年間護持費は同様です。


    2020/12/30

    令和二年除夜の鐘

     本年令和二年の除夜の鐘は、大変無念ではございますが感染防止の観点から中止とさせていただきます。